この時期、天候が荒れたり雷が鳴ったり、
これがまさに、鰰の到来をつげる合図です。
先週末、ようやく今シーズン初の鰰を食した私、
やはりこの時期は、正月明けまでずっと鰰、
どこでも誰でも、私もあなたも鰰。
秋田県民と鰰は切っても切れない関係。
資源確保から、今年は漁獲制限があるそうです。
未来にも、しっかりと残す海の財産である鰰。
焼いてよし、煮てよし、ずしにしてよし。
正直、子どもの頃はうんざりしたこともあったのですが、
鰰の魅力は、大人になってわかるものです。
私は毎日でもよしですが、個人的には、やはりオスが好き。
今の家と昔の家を比較するのは、正直難しいところが多い。
よく新築に住んでいると、言われることとして、
「どこでも暖かいんでしょ、うらやましい」
そりゃそうです、造りが違うんですから。
一番大きな違いは、断熱性能の差と、家の大きさ、家族形態。
家に求められるものも、家の使い方も昔と今では違うのです、
ですので、ひとくくりにはできませんが、
じゃあ、すべて昔より今が良いのか!?
ええ、私はそうは思わない。
特に今の時期に、昔の家が良いなと思うのは、
「ストーブ」なんです。
「え!?」
と、思う人もいるかもしれませんが、
薪でも、石油でもどっちでもいいです。
はい、暖房というジャンルでのストーブじゃない。
「ストーブ上での、コトコト鍋調理的な暮らし」、
私はですね、これだけは今の家が勝てないマイナス要素、
いつもそう思っています。
どんなにIHと圧力鍋で調理しても、ストーブでコトコト調理には、
味という観点からも、絶対に勝てない。
ゆっくりと時間をかけて煮込まれたものほど、その差は歴然。
今の家での暮らしで、これができるか!?
専用の薪ストーブでも入れない限り、できないんですよね。
そしてまた、仕事世代共働きには、まずもって不可能です。
時短では、今の暮らしIHの勝利。
じっくりでは、昔の暮らしストーブの勝利。
ストーブの上でほっとかれている鍋のある暮らし、
ストーブの上に陣取るやかんと熱燗のある暮らし、
私は、今の日本が失った悲しい歴史だと思っている。
(注)個人差がありますので、すべて正しいとは限りません。
年末大晦日の紅白歌合戦、
今年も出場歌手が決定しました。
笑う人泣く人、さまざまです。
個人的には、小林幸子さん、
特別枠とはいえ、カムバック、
ラスボスとして若者を中心に人気が再爆発、
見事復活を果たしました。
しかし、最近の歌番組に共通するのは、
その年のヒット曲の、それは少ないこと!!
そして、口パク本物の歌声の少ないこと!!
これだけは、もはやどうにもならない、
日本の音楽界の闇であり、負の連鎖。
ヒット曲がなくても、なぜか人気で当選。
ヒット曲があっても、なぜか不人気で落選。
完全生歌のヒット曲の音楽番組が見たいと思うのは、
私だけなのでしょうか!?
〇〇枠というのには、もうついていけない世代です…。
秋田県の建築界にとっても、非常に嬉しいニュースがありました。
断熱性能と優れたデザインを両立した住宅づくりを競う、
「日本エコハウス大賞2015」の大賞に、
秋田県大仙市の、「もるくす建築社」さんが輝きました。
すごいの、一言です。
雪国というのは、どうしても冬のハンデがあり、
家づくりのベースは、冬メインとなる。
(もちろん夏をまったく考えないというわけではないです)
断熱性能を考慮した場合、地域的差と言えばいいのか、
南の地域よりも、断然コストも手間もかかります。
(たまに、南がうらやましく思えることもあります)
その上に、さらにデザイン性などのファサードにもこだわると、
もはや建物予算は、どんどん上がってしまう。
建物性能と意匠性の、コスト分配のバランスがどうしても難しい、
そういう認識が少なからずあったのです。
性能と美しさの両立は、大きな課題でもありました。
しかし、設備や建築資材、工法等の技術の進歩はすさまじく、
また社会的ニーズからも、超高性能住宅の普及促進であったり、
そういう住宅へも、少しずつお客様の関心が増えてきました。
(かなり勉強されているお客様であれば、ご存知かと思います)
今回見事大賞を受賞した、もるくすさんの大曲の家、
惚れ惚れする美しさですね。
ここまで大胆に開口部を取るのは、一般住宅ではなかなかできるもんじゃないですが、
それがこの家を、さらに際立たせ、上質な雰囲気と空間を生んでいる。
雪国の設計は、当然雪の問題も考えなければならない上に、
立地条件により、できることも限られることだってある。
設計時に、いろんな課題や問題もあったと思いますが、
この立地には、この建物がベストであったことは、現地を見に行くまでもない。
(私なんかが言うのもおこがましいですが)
建物性能も、秋田の地域レベルをはるかにしのぐ、ハイスペック仕様。
数値だって、地域トップレベルものですもん。
レベル高いです、マジで。
大変大きな刺激を受けました。
そしてまた、このエコハウス大賞の審査員には、
我が能代市が誇る、日本のトップ建築家の一人、
西方先生も当然ながら名を連ねている!!
これまた同郷としても、実に誇らしいですし、
先生のすごさを、改めて感じます。
(街中ですれ違う先生も、もちろん好きです)
もちろん我々も、黙って傍観しているわけではないです。
これから求められてくる、超ハイスペック性能の家、
我々なりの解釈で、現在進行形で挑戦をしております。
雪国の限界!?
そこで止まっていては、進歩はないのだから。
ついにこんな時代が来たかという話です。
政府はこのほど、蛍光灯の製造や輸入を、
2020年度をめどに禁止する、
そういうニュースでした。
省エネ性の高いLEDしか使用できない、
新築であれば、もはや常識ですが、
既存も含め、一気に普及を加速させるための措置。
白熱灯はもはや、過去の遺産となるんでしょうね。
各家庭も、街中もすべて。
省エネ法改正ってのは、かなり強引であることは間違いないです。
我が秋田県知事のこのほどの定例記者会見で、
びっくり仰天なエピソードが語られました。
大の猫ちゃん好きで全国区の、病気からカムバックした佐竹知事、
以前より体重がガクッと落ちてスリムになったことから、
先月の南米訪問の際、ブラジル空港内の入国審査で、
そんなりパスとはいかずに別室送りとなったようです。
まあ、普通でも9年前とは異なるケースもある。
「ミー、フォーイヤーズアゴー、ベリーベリーシック…」
一生懸命に説明したというから、かわいいですね。
しかし、外国の入国審査は、どうしてあんなに不機嫌なんでしょうか!?
担当する審査官にもよりますが、だいたい印象悪い。
言葉も通じない、鼻で笑われている感がありますよね。
「あまり違った人相で海外旅行に行かないよう、ご注意を」
佐竹知事のコメントには、妙に納得。
まあ、ほんわかするニュースではありました。
まあ、簡単に言ってしまえば行政の財源確保、
このために、公共施設自体の命名権を売りますと、
まさに21世紀型の新たなビジネスとして定着した、
「ネーミングライツ」という動き。
秋田市でも、かなり増えた感じがあります。
八橋球技場が、あきぎんスタジアム、
八橋第2球技場が、スペースプロジェクト・ドリームフィールド、
市立5図書館が、ほくとライブラリー、
市立体育館が、CNAアリーナ★あきた、
大森山動物園が、あきぎんオモリンの森、
八橋球場が、さきがけ八橋球場、
もはや、どこかが正直わかりません。
慣れるまでは、マジで不便。
というか、今はそうでも一定期間終了後に更新しないで、
気付いたらまた名前が変わるなんてなれば、
もはやしっちゃかめっちゃか。
まあ、時代の流れですので仕方ないにしても、
市民はいつも、事後報告で反対も何もないわけです。
不思議と、競合にはなぜならないのでしょうか!?
オークション形式!?
というか、ネーミングライツは企業にとって本当に有益なのか!?
その宣伝効果は、プラスとマイナス諸刃では…。
高いか安いかは、感覚の違いなんでしょうね。
能代市も、やるのでしょうか!?
東京オリンピックパラリンピックのエンブレム問題、
仕切り直しの再公募が始まるようです。
公募前に、すでに6万件ものアクセスがあるとかで、
その反響の大きさがわかります。
いずれにせよ、新エンブレムは透明性と潔白性が求められています。
遅いくらいでしょうが、早く決まってオリンピックモードへ、
誰もがそれを望んでいる。
能代のツタヤさんが移転し、初の休日。
新店舗は、すごい車となっていました。
個人的には、旧店舗より交通アクセスは限定される、
能代高校側からの左折はいいが、反対からの右折となると一苦労、
メインとなる駐車場も、旧店舗の方が台数はいけるんじゃ、
周辺は非常に混雑するとは予想しておりましたが、
便利になったのかどうかは、人それぞれでしょうか?
こうした人が集まる系のお店の出店や移動は、
その後の動静にも、大きく影響します。
能代では、ここ十数年ずっと商業系は国道7号沿いに集中、
完全にこの流れは継承されています。
そしてこの先、イ〇ンも来るとなれば、ますますですよね。
当然、栄えるところもあれば、衰退していくところも出てくる。
これから家を建てようと思っている方にしてみれば、
こうした時代の流れを読むことも、重要ではないか、
私は、そう思うのです。
フレスポ能代は、再び輝けるか!?
残念というか何というか、悲しいニュースです。
神奈川県藤沢市の小学校の算数の授業、
電卓の使い方であったのでしょうか、
「18782+18782=37564」
これを語呂合わせで言葉にしたから大問題、
「嫌なやつ+嫌なやつ=皆殺し」
どうやら、本かインターネットで得た情報らしいですが、
先生にしてみれば、いい国造ろう鎌倉幕府的な発想だったのでしょうか?
(今の子どもには、これは通用しないんですが)
例えた言葉が、実に悪い。
興味を持ってもらいたいという願いは百歩譲っても、
学校現場では、嫌とか嫌いとか、死とか殺しとかは、ほぼご法度、
ブラックジョークにしても、あまりにも軽すぎる。
万の位ということは、高学年でしょうか!?
保護者からの連絡で発覚したとからしいですが、
子どもが家に帰って、「今日こんなことが…」、
そこで皆殺しなんて言葉が出てくれば、さすがに親だって衝撃です。
「こういうことは、やめましょう」の、模範話ではありますが、
いたたまれないと思うのは、私だけでしょうか?