先日載せたマルハラなる話題、
文末の句読点に若者が恐怖心とか、
若者がそこに感じるマルハラスメント、
話はそこから、さらに盛り上がり、
今では、なんと句読点そのものが、
オ〇サン構文だとかにまで発展、
あ~あ、これ言っちゃったから、
もはやこれは、完全に世代間戦争、
ちょっと一触即発手前的な、
そんな嫌な雰囲気が漂う中、
そこに、大先生まで登場です。
はい、日本語歌人の第一人者である、
俵万智大先生がですね、
この話題に言及され、
そして一首をそっと、
置いていってくれましたが、
「優しさに ひとつ気がつく ×でなく
○で必ず 終わる日本語」
あまりにも美しく、完璧すぎる、
さすが大先生、レベルが違います、
はい、これで完全論破です。
○に、まったく悪意はないのです。
これは、日本語文章のルールであり、
日本語文章は、必ず○で終わる、
「ああ、これで文章は終わり」
○は何より相手を思う心、
○はその合図であり、サインなのです。
こんな大先生まで登場させる、
このマルハラなる現象は、
こう捉えてしまう今の若者、
マジで、大丈夫かって話ですよ、
若者の日本語文章離れがヤバい、
昨今のSNSの普及なんでしょうが、
知識教養のなさを物語る最たる例、
私は、そう思う。
ハラスメントというのは、
された方がどう感じるか、
定義はそうでしょうけど、
意味もルールも理解しないで、
ハラスメントだ、なんて、
もう一回、小学校からやり直し、
勉強してきてからモノ言えやって、
大先生に変わりまして、
私が代わりに言います。
「マルハラで 己の無知を 痛感す
○で終わるが 日本語文章」
恥ずかしいから、マルハラなんて、
言わない方がいいですよ。
最後句読点で終わる常識、
それを怖いとする若者を、
世の大人は、こっちが怖いわ、
はい、これは大人の圧勝。