株式会社 サンワ興建

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『悲しい裁判』。

2018.05.10

世の中には白黒つけなければならないことって、

実は思いのほか多いのでしょうが、

時に何が正しくて何が悪いのか、

どちらが正しく、どちらが悪いのか、

そう簡単には答えが見つからないこともよくあります。

そんな時には、じゃあ出るとこ出ましょうということで、

いわゆる裁判沙汰になることもあるんですが、

では、司法の判断がすべて正しいのかと問えば、

そうでなかったりするケースもあるものです。

東日本大震災で起こったあの悲しい事故、

宮城県石巻市、大川小の津波被害をめぐる裁判です。

本当に悲しい児童ら84人が犠牲となったわけですが、

そのうちの児童23人の遺族が市と県に23億の損害賠償を求めた、

そういう裁判が行われていた中、1審では決着せず、

そして仙台高裁が市と県に14億円の支払いを命じた判決、

これに対し、石巻市や県は防災の専門家ではない校長らが、

津波襲来を予見することは不可能に等しいとして、

この仙台高裁の判決に対して、最高裁への上告をした、

話は、こういう流れです。

これほど悲しい裁判はありません。

いや、そもそも裁判に悲しくないものはないのです。

加害者被害者、原告被告、立場の違いで捉え方考え方は変化する。

犠牲者とその遺族の悲しみや怒りは消えることはない。

しかし、あれだけの想定外の震災と津波です、

その責任を、学校や市教委そして県が負うものかどうか。

防災というのは、本当にこれで良いということはなく、

そしてまた、どこまで求めるのかもわからないところもある。

その中で、司法は最後には判決という判断を下します。

そこに、一つの勝ち負けが発生するのです。

この望ましい判決とは何か!?

訴えた方が正しいのか、そうでないのか。

訴えられた方が正しいのか、そうでないのか。

では万が一、犠牲となった他の児童の遺族とのバランスは?

非常に考えさせられるとともに、胸が痛くなる裁判です。

これに対する最高裁の判決は、実に重い。

 

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